おはようございます。
昨日(?)金色ラブリッチェのFDの評価と感想について書きましたが、本日はその前作である金色ラブリッチェについて書こうと思います。
正直、書くつもりはありませんでした。と言うのも言わば2作目の感想を先に書いておいて1作目を今更書くというのは非常に意味の無いことだと思いますし、今この記事を書きながらもそう思っています。
『いや、じゃあ書くなよw別に誰も頼んでないんだが?』と言われると至極その通りで、まあこれは(よく言っていますが)自己満足のために書いています。なので誰かに見てもらうというのは二の次どころか三の次とかそのくらいの感覚な訳です。まあ気持ちの整理ってことですね、要は。
で、経緯なんですが、ついさっきまで例のごとく批評空間のサイトをダラダラと見ていて、ふと『そういえば金恋の評価ってどんなもんなんだ?』と思って調べたことがきっかけです。
あくまで記事を書いてる時点での話ですが、中央値84、データ数846、標準偏差13というのがそのサイトでの言わば点数でした。
いや、ちょっと待てよ高すぎないか?
と。
そう思ったわけです。
この3データについて簡単に説明しておくと、
中央値はまあわかると思います、全体を点数順で並べた際のちょうど中間にある点数のことを意味します。意味合い的には平均値とさほど差はないでしょう。でも私は常に中央値を見るようにしています。それはなぜかと言うと、中央値の方が平均値より優れている場合があるからです。平均値の取り方はさすがに説明不要だと思うので省略しますが、
例えば全データの中でほとんどの人は50点だとかを付けているが中には100点をつけている人がいたとしましょう。
その場合の平均値は…?
この100点によって本来(=ここでは50点程度)よりかなり高くなってしまいますよね?
これが平均値の良くないところなんです。
つまりいくつかの高すぎる、或いは低すぎる評価によってあたかも高得点、あるいは低得点のように見えてしまうんです。これが中央値と違う点であり、中央値が優れている理由です。
次にデータ数ですが、これはまあ見ての通りという感じです。ただひとつ指標というか基準としてデータ数が1000あればかなり多い部類に入るということです。
つまりこの846というのはかなり多い方です。(勿論、最高となると4000とか5000とかの作品もあるが)
最後に標準偏差ですが、これはデータの振れ幅を表します。
つまり前述したように(仮に)100点をつける人と0点をつける人がいればいるほど、差が広がるほどこの値は高くなるということです。で、この13という値は
データ数から考えると割と振れ幅大きいです。
この3点を踏まえて言える結論としては、非常に簡潔ですが、
高得点をつけている人間が大多数で、
しかもその人たちの評価というのはかなり高くつけられている。
一方で低く点数をつけている人はかなり低い点数をつけているということです。
これに『ん?』となったわけです。なぜなら私の中でのこの作品の評価は仮に点数化して明確にするなら
(今雑につけた点数ですが)70点
がいい所だからです。
この経験は「車輪の国、向日葵の少女」でもありましたが、今回の件でどうやらこのサイトの点数は少なくとも私にとってはほとんど当てにならないということが分かりました。このサイトという言い方はとても良くないですね、すみません。これだけ便利なサイトを作って下さっていることには本当に感謝しかありません。ありがとうございます。
このサイトで評価をつけているエロゲプレイヤーの多数が、というべきでしょう。
私の中でのねじ曲がりまくったイメージですが(特にこういったサイト等で)評価する人間というのはどちらかと言うと批判的な姿勢で、良いことも悪いこともズバズバと言っちゃう。
ここまで凝り固まったものでないにしろ、おおよそこうであると思っていましたし、こうであって欲しいと思っていました。
その方がなんか爽やかさがあるというかエロゲプレイヤーらしくて凄い好きなんですよね。
良かったら良かったと言うけど、あくまでも批判的な姿勢から常に評価を行う。
これが私の中での理想です。
で、まあ長くなりましたが話を戻しますと、おそらく私より多くの作品をプレイしている言わば先輩のような方々が口を揃えて高評価、というのは不思議というか非常に悲しいです。
だってもっと沢山の名作をプレイしてきているはずだし、もっと色んな価値観や考え方を学んでいるはずなのですから。
つまりそれだけ多角的に、且つ相対的に評価できるだけの手札をいっぱい持っているはず。
であれば確かに良かった点は良かったですが、私でさえ気になった点を気にならないというのはどういう事態なのかと。
単に私が少数派であることに価値を見出し、批判することを楽しんでいるから?
いや、まあそれはあるかもしれません。何せ自分のことは自分には分かりませんからね。私がそう思っていなくても客観的に見ればそうであるということもあります。
一応、(自己防衛のために)私の作品への姿勢について書いておくと、前述したように良いところがあれば褒めるけど、気になった点とか悪い点については当然批判する。こんな感じです。
でも不快な点があった(例えば主人公めっっっっっっちゃ嫌い、とか、退屈すぎるなぁ)とか思ったとしても必ず最後までプレイします。悪い点が1つあったからやめるというのはやはり勿体ない事ですし、それで批判だけするのは違うと思うからです。全体を通してやってその上でここは良かった、ここは悪かったというのが然るべき評価というものかと考えています。
とまあ私の自己防衛はこの辺にしておいて、大多数が高く評価している本作品に対して私はどうしてそれほど良い評価を抱いていないのか、という話に入ろうと思います。
あ、ちなみにですが低評価をつけていた方々の意見とは今回非常に合致していて、そこはある種の安心感がありました。(そこは「車輪の国、向日葵の少女」でも同じでしたが。)
…すいません、もう少しこの件について話させてください。
その低評価の方々の中でひとつ興味深い、というかああ同じだなあと強く共感した意見があったので少しそれについて。
まあ概ねは私の書いたことと同じでしたが、プレイヤーが舐められる、と。
(もう少しソフトな書き方だったかもしれませんが)
そう書いていたんですよね、その方は。
なるほどなぁ、と。
確かに、非常に失礼な言い方になり申し訳ないのですが、
この程度の作品をあたかもトップクラスの、《最高》の作品と評しているようではメーカー側からこのクオリティのものでいいのだと思われてしまう。それによって過去の名作を超えるどころか劣化も劣化という程度のものが溢れてしまう危険性がある。それが怖い、と。
その方はそう仰っていました。多少の過剰さというのはあるかもしれませんが、これには深く共感しました。
そして、もしそんな事態が起きれば少なくとも私は今後このエロゲーというコンテンツから手を引くことになるでしょうし、同じ考えを抱く方もそう多くはないにしても0では無いでしょう。
別段そうなったからと言ってこの文化が滅びるなんてことは万が一にもないと思いますが、衰退するということは十分に有り得るでしょう。(現状で繁栄しているとは言い難い)
もちろん名作を生み出すというのは言葉では言い表せないくらいに尋常ではなく困難であることは分かっているつもりです。
ただでさえ色んなアイディアが出尽くされているわけですからね。
本当に名作を生み出すライターさんはもっと評価されてほしいです。
とてつもなく、それこそ1億再生突破の曲を生み出すことなんかより数倍は凄いことをしているので。
ここはホントに悲しいし悔しいです。相応の評価が受けられていないという事実が。まさしく筆舌に尽くし難い気持ちです。
それもまあエロゲというコンテンツの逃れられない部分であるとは思いますが。
だからこそ衰退なんて絶対にするべきじゃないと思うんです!(鼻息)
すいません、思ったより長くなったので一旦終わります。()
次の記事に続くってことでお願いします。
※追記:次の記事書きました。