今回は前置きも短めに本題に入ろうと思います。
たった今この作品を読み終えた私がなぜ筆を取ろうと思ったのか(実際はスマホをとっただけですが)というと、タイトルにもあるようにこの作品が素晴らしい後味の悪さを残してくれたことでこのままでは眠れなくなってしまったからなんですね。
だからここでうじゃうじゃ言って少しでも気を紛らわせようという考えです。
※以下、ネタバレしかないです。
絶対に未読の方は見ないでください。
(未読の人が帰ったことを願いつつ)
まずどうですか。皆さんは。
後味悪いな〜ってなりませんでしたか?
私はなりました。しかも凄まじく。
ちなみに言っておくと、私は怒っているわけでは全くないです。不快なわけでもないです。
ここで言う後味の悪さ、というのは
限りなく素晴らしい
というある種の表現であり、要するに褒め言葉と捉えてもらって構いません。
ではまず何が後味悪く感じているのか、という話ですが、
①ミカサは救われない(エレンも)
②結果的にバッドエンドに近い
ぱっと思いつくところだとこれです。
①について。
説明する必要は無いでしょう。
最終話にて実はエレンもミカサの事がめっちゃくちゃに好きだったということが明かされます。
対するミカサは言わずもがなでしょう。
まあハッキリ言って大抵の(少なくとも人類の8割の)人は幸せにはなれていません。
だから彼らだけが報われるというのはあまりに都合が良すぎる。
これはその通りです。
でもエレンとミカサはその他有象無象とは、立ち位置も、成してきた事も、何もかもが大きく異なります。
本作においてまさしくキーマンと言えるのはこの二人(+アルミン、ですがアルミンははっきり言って一段階落ちます。というかミカサも後になって急にキーマンとなったという感じなので一番は圧倒的にエレン)です。
まあそして本当に辛い役割、重い役目を果たしたわけですよ。
であれば、報われてもいいじゃないの。
恐らく、読者の方の9割以上がそう思ったのではないでしょうか。
私もこれは同意見です。
と言っても報われて欲しいと言いつつ報われて欲しくなかったりする面倒な人間が私ですが。
そしてここでエレンとミカサが報われるというのは作者の描こうとしていたもの(思想、思考)と反する。
私が報われて欲しくないと言っていたのはこれが理由です。
うーん、なかなかうまくまとまらなくて申し訳ないです。
全体の構成も何もかもが瞬間瞬間なので本当に読みづらくなっています。
私自身、頭の中のぐちゃぐちゃを書きおこしているような状態なので余計読みづらくなっていると思います。
では頭の整理も兼ねて、少しおさらいさせてください。
まず1つ目。
エレンはなぜ地鳴らしを発動したのか。しかも必要以上に。壁になっていた巨人を動かしてまで。
これはミカサにどうしてもエレンを殺すという選択を選ばせる必要があったからですね。
と言うよりは最愛の人物(=エレン)だが止め(殺さ)なくてはならない相手を自分(ミカサ)の手にかけるという事実が必要だったわけです。
またそりゃ何故かというと、始祖であるユミルが関わってきます。
ユミルの説明をしておくと、
・始祖です。
・座標(≒道?)というエルディア人(=壁の中の人)全員に一本通っている筋のような、言うなれば血の運命とでも言うのか、まあそんな感じのふんわりした時間も何もかもがない超越空間にいます。
・そしてそこで巨人を作っています。つまりエルディア人が巨人になる時にはいちいちこのユミルが作っているんです。(なんかめっちゃ時間かかるらしいが時間の概念がないので関係ない)
という感じです。
ちなみにエルディア人全員巨人になることが出来るわけですが、これぶっちゃけ凄い事ですよね。
だって最初に巨人の力を持っていたのはユミルただ一人だったんですよ。
それが絶えず続くっていうのはなかなかに考えられない。(単純に続いているとも言い難いが)
まあこの辺も理由はあったわけですが、長くなるので割愛します。
で、話を戻すと、
「何で巨人を作り続けてんだ、この人は」
という疑問が湧くわけです。
だって死んでからおよそ2000年(?)経過しているにも関わず座標にずっといるわけです。
しかもめちゃくちゃめんどくさいことを何回、何十回、何百回もやって。
普通に考えたら気が遠くなりすぎる話です。
でもそれをやっている。自分の意思で。
不思議な話だと思いませんか。そう、これがエレンとミカサの話に関与してくるわけです。
始祖ユミルは、当時の王によって散々な目に会わされます。尋常ではないぐらいに。
しかし、ユミルは王のことを愛していました。王に愛されていなくても。
当時の王は巨人という圧倒的な力をすごく大切にしていました。
他国の兵器ではまるで勝てない。しかも無尽蔵。そりゃまあ兵器としても、国を発展させる上でも重宝しますよね。
そして王は巨人の力を絶えさせない事を望みました。
少し言い換えると、王は、
「巨人の力を失わないこと、そしてそれを行使すること」を願ったわけです。
その哀れな思想を叶えるため、愛されるため、巨人を作り続けているのが始祖ユミルです。
見えてきましたかね?
ミカサは愛する人を自分の手によって殺す。それはなぜか?世界のために。
つまりミカサは最愛のエレンではなく、エレンを除いたその他全ての人類を選んだんです。
一方のユミルはどうでしょうか。
世界ではなくただ愛されたい王を選び、王のために巨人を作り続けている。
この対の関係です。
ミカサが反する答えを示すことによって、ある種の束縛からユミルは解放され、全エルディア人から巨人化の能力が無くなる。(=ユミルが巨人を作る必要がなくなり、作らなくなる)
そしてエレンはこの事を知っていました。
一言で言ってしまうとユミルは、
「愛故に愛ではなく世界を選ぶ」
というそんな美しいドラマを見たかったんです。そしてその為の役者がこのエレンとミカサだったわけです。
だからこそエレンに手(始祖の力)を貸していました。
そしてエレンも「巨人を一匹残らず駆逐してやる」と言っていたわけで、要は巨人がいなくなればwin-winだと思っていたわけです。
しかしそのためにはエレンが始祖の力によって地ならしを発動することで、ミカサに自分を殺させるという状況にする必要があったわけです。
だからエレンはずっと悩んでいました。
他に方法はないものか、どうすればいいのか。
悩んだ末にあの行動に出たわけです。
やはりますます可哀想な男である。が、やはり主人公である。
なんて文豪ぶった表現もほどほどに、ちょっと休みます。
気が向いたら続きを書くかもしれません。
ちなみにですが……
なな、なんと!この「進撃の巨人」の作者が影響を受けた作品である「マヴラヴ」の記事もこのサイトでは書いています!是非チェックを!
と、まあ寒い冗談はさておき、この影響を受けたという話自体は本当のことです。インタビューでハッキリそう言っているので。
ですが、はっきり言ってそちらは何と言うか……まあオブラートに包むと、見るほどのものでは無いです。はっきり言うとゴミに近い何かです。
余談を挟みましたが、本当に素晴らしい作品でした。アニメ化も楽しみですね。